賤民は <身分制度・歴史・芸能>

古代律令制の身分制では、人民の身分を良と賤に大別し、公課を負担する公民を良とし、特定の主人などに従属し、特殊な奉仕を義務づけられた者を賤とした。

賤を5種に分け、陵戸、官戸、家人、公奴婢、私奴婢とし、これを五色の賤といった。

これらの賤民は、朝廷・貴族・豪族などに支配・所有され、その労働力として雑役に従事させられた。

陵戸は、天皇・皇族の陵墓の守衛に従事し、身分的には賤民中もっとも上位にあった。

官戸は、官司の雑役に従事し、公奴婢より上位にあった。

陵戸・官戸は戸を構え、口分田も良民と同額を貸与された。

家人は、奴婢と同様、口分田は良民の3分の1しか与えられず、相続の客体とされたが、家族を構成し、私業を営むことが認められ、売買の対象にされなかった。

公奴婢は官有の、私奴婢は個人所有の奴婢で、売買・譲与・質入の対象とされ、家族生活を認められない本格的な奴隷であった。

賤民はいずれも良民との通婚を許されず、賤の子は賤に属するとされた。

しかし、良・賤の身分差別は、人民の間では早くも8世紀末には事実上崩壊し始めた。

そして、古代の身分制は、賤民を含む人民の解放への営みによって切り崩されていった。

中世の賤民は、人格的な隷属関係をもたないまったく無視されたアウトサイダーであった。

中世社会には、被差別民のほかに、蔑視・差別されていた存在として下人、所従があったが、彼らは貴族、寺院、武士、有力な庶民と隷属的な主従関係にあり、世間で生活していた。

僧侶は世間の外にいたが、庶民と同等またはそれ以上の存在であった。

中世被差別民は世間の外にあり、かつ庶民より下の蔑視された存在であった。

彼らは非人・河原者などさまざまに呼称され、ある程度の集団を形成して都市に存在し、農村にも散在して、生きていくために、きつい仕事、危険な仕事など、人のいやがる仕事をやり、あるいは雑芸能を含む物乞いに類する行為を行った。
update:2010年03月16日